一人ひとりが自律する
- カテゴリ:企業経営
覚悟の交換が必要となる
これまでは、企業と社員がお互いを尊重しあう共創関係を構築するために必要となる、企業側(経営者や管理職)の意識変革についてお伝えしてきました。
しかし、パートナーとして共創関係を続けていくためには、片方だけが変わっても長続きしません。
今回から、社員さん側に求められる意識変革について考えていきたいと思います。
ここで、「意識変革」という言葉について補足しておきます。
「意識変革」という表現を使うと、誰かに意識を「変えられる」ような印象になりますが、私がここで使っている「意識変革」という言葉はそうではありません。
「他者に意識を変えられる」ということではなく、一人ひとりが「主体的に自分の意識を変えていく」というイメージです。
そもそも、人間は他者から変化を迫られることを嫌います。
他者ができることは、意識変革のきっかけをつくることだけで、生きがいラボが設計しているノーレイティング型人事制度も、変化を促す環境の一つに過ぎません。
人間の意識が変わるときに、必要不可欠となる要素は「本人の意志」です。
自分を変えようという意志のない人に対しては、どんな環境が整っていたとしても無駄になります。
では、その意志はどこから湧いてくるのかというと、「お互いのことを尊重して協力しあっている共創関係を創りたい」という想いです。
ですので、共創関係をつくりたいという想いがなくて、別に対立関係でもいいというのであれば、無理して自分の意識を変える必要もないかと思います。
ただし、企業と社員の関係を共創関係にしたいのであれば、他者に変化を求めるのではなく、まずは自分が変わる必要があるということです。
私の尊敬する経営者さんが、お互いが自分を変えていこうとする行為のことを「覚悟の交換」と呼んでいたのですが、
まさに、一人ひとりが「自分が変わる」という覚悟を持つことが求められます。
私がここで使っている「意識変革」とは、そういうイメージです。
「何をするのか」を決めるのは個人の責任
一人ひとりがどう変わる必要があるのか?
一言でいえば、「自律する」ということです。
ここでは「自律」を次のように定義します。
『自分の頭で考え、意思決定し、その結果に全責任を負うこと』
似たような言葉で「独立」がありますが、別の意味で使っています。
たとえば、学生生活を終えて社会人となり、一人暮らしを始めて物理的・経済的に親から「独立」したとしても、内面が「自律」しているとは限りません。
または、勤めていた会社を退職して、事業を起こして「独立」したとしても、それが「自律」していることの証明ではありません。
逆を言うなら、会社に勤めながら「自律」している人もたくさんいらっしゃいます。
つまりは、組織に属しているかは「自律」には関係ないということです。
私は長年、人事制度の分野でコンサルティングを行っていますが、こういう意見をよく聞きます。
「どうしたら給料が上がるのかを会社が示すべきだ」
「何をしたら評価が上がるのかを教えるべきだ」
気持ちは痛いほど分かるのですが、この考え方は、自律の反対である「他律」です。
自分で決めることなく、意思決定の主体を他者に預ける行為です。
他律的な考えの行き着くところは、「自分は被害者」という意識です。たとえば、
「会社(上司)のせいでモチベーションが上がらない」
「失敗したのは、会社(上司)のせいだ」
「自分をキチンと評価しない会社(上司)が悪い」
うまくいかないことを、自分以外の誰かの責任にし、そのことで自分を正当化します。
自分以外に責任があるのだから、主体的に行動を起こすこともありません。
他律的な価値観の最大の問題点は、他者に対する感謝の気持ちが湧かないということです。
もちろん、自分にとって都合のよい人に対しては、誰だって感謝の気持ちを持つことができます。
しかし、社会は、自分にとって都合のよい人ばかりではありません。
他律的な価値観を持っていれば、自分に都合よく動かない他者は、自分に被害を与える加害者と映りますので、感謝の気持ちなど湧くはずがありません。
こういうことを書きつつも、私も他律的な自分を感じる時がたくさんありますので、偉そうなことは言えないのですが、
お互いのことを尊重しあっている社会をつくりたいと願っていますので、まずは自分を変えていきたいと思っていますし、そのことを社会に発信していきたいと思っています。
次回は、自律ということをもう少し掘り下げて考えていきたいと思います。