企業と社員の関係性を変える
- カテゴリ:ノーレイティング(No Rating)
対等とはどういうことか?
これまでの社会は人間中心ではなく組織中心だったと、前回にお伝えしました。そして、組織中心の例として、
1.上司が権力を持ち、上司の指示には必ず従わなければならない。
2.副業をしてはいけないという社内ルール、あるいは暗黙の不文律がある。
3.人事異動を自由に希望できない。
4.関係を解消する意思表示の自由度に、企業側と社員側に差がある。
ということを挙げました。
※前回のブログ「企業の命題は永続なのか?」
1番目から3番目は、分かりやすいと思います。
自分が「何をするか」「どんな職業に就くか」については本人が決めることが当然ですし、「どの部署で働くか」についても、本人の希望が反映されることが「人間中心」の組織運営です。
4番目は、違和感を持つ方もいらっしゃると思います。
現在の日本の法令や労働慣行では、社員からの退職の意思表示については、それほど制約はなく、組織からの解雇の意思表示については、さまざまな制約が設けられています。
しかし、本当に信頼しあうパートナーであるためには、「対等」であることが求められます。
「対等」とは、私の感覚では「双方の責任と権利がつりあっている」状態のことですが、関係を解消する意思表示(退職と解雇)については、対等な関係とは言うことができません。
ノーレイティング型人事制度の根幹には、企業と社員は「対等なパートナー」という前提があります。
「対等」という視点で、企業と社員の関係性について見ていくことにしましょう。
対立を前提とした関係性を変える
私が考えるノーレイティング型人事制度とは、人と人がお互いを尊重し、信頼しあっていくための環境をつくる取り組みの一つです。
人と人が、お互いのことを尊重し、信頼しあっていくためには、そのスタートラインとして「対等」である必要があります。
対等な関係とは対照的な関係は、上下関係です。
しかし、これまでの企業と社員の関係性は、「労使」という言葉の通り、「使う側と使われる側」、「雇用する側と雇用される側」という対立を前提とした関係でした。
極端な言い方をするならば、「支配する側」と「支配される側」でした。
だから、法令では、力の強いとされる企業側にさまざま規制を設けて、弱い側の社員を守ろうとしてきたのです。
この取り組みは、今までの社会であれば意味があったと思いますが、これからの日本社会では見直すことが必要だと考えています。
近年になって、企業は、社員のモチベーションを高めることに努力していますが、ほとんどの企業の本音は、
「業績を高めるための労働力として社員の質を高めたい」
というものです。
つまりは、社員を経営資源として捉え、その質を「コントロール」することを目的としています。
マネジメントという言葉を使ってはいますが、その実質はコントロールです。
コントロールしようとするから、社員は企業(経営者・上司)のことを信頼できないのです。
これからの組織運営では、社員をコントロールするという意識から、社員と「共創」する意識に変革する必要があると思います。
文字通り、お互いをパートナーとして尊重して、共に価値を創り出すということです。
そういう組織運営がなされて初めて、企業に関係するすべての人(経営者・管理職・社員)が「生きがい」を感じられるような環境が創り出されるのだと思っています。
では、次回は、企業と社員が共創するためには何が必要なのかを考えていきたいと思います。