高い視座で給与制度を運用する
- カテゴリ:自己申告型給与制度
今まで私が述べてきた「給与は投資である」というコンセプトや、
給与の3つの定義などは、給与制度の常識とはかなり違います。
しかし、これらは奇をてらって思いついたものではなく、
「生きがいを感じることができる社会づくりには何が必要か?」
ということを考えた結果として、行き着いたものです。
私は、何か物事を考えるときには、その対象のことだけを考えても、
よい結論には至らないと思っています。
考える対象よりも高い視座を持つことが大切だと思います。
■高い視座とは何か?
たとえば、
国家のリーダーであれば、世界全体のことを考え、
地方自治体のリーダーは、国家全体のことを考えなければならない
という現在より高い視座で考えることが大切だと思っています。
そして、企業経営のことを考えるときには、
1つの企業の成長や利益のことだけを考えるのではなく、
「どのような社会を創りたいのか?」
という、経営より高次の視座から発想することが必要だと思います。
私が創りたい社会は、「生きがいにあふれる社会」です。
そのために、どうしたら生きがいにあふれる社会になるのかを
長年にわたって考えてきました。
そして、行き着いた結論は、
組織が個人に「生きがい」を与えることはできない。
与えることができるのは、「生きがいを感じやすい環境」だけだ。
ということです。
だから、給与制度によって「自律」を促進しているのです。
しかし、注意しなければならないことがあります。
それは
「行き過ぎた自己責任論」
に陥らないようにすることです。
生きがいは自己責任から生まれますが、
自己責任ではどうにもならない状況の方々もいらっしゃいます。
たとえば、過度のストレスでメンタルの健康を損なった人は、
社会全体が「思いやり」を持ってサポートする必要があります。
その他にも、
貧困に苦しむ子どもたち、
自分の子どもに充分な教育を与えられないシングルマザー、
就職したくてもできない若者たち、
障がいを持っている人とそのご家族、
仕事を通じて活躍したい子育てや介護中の人たち、
ありのままの自分を隠しているLGBTなどのマイノリティー、
仕事に支障がある疾病を抱える人たち、
などの方々に対しては、思いやりを持ってサポートすることが、
あるべき社会像だと思います。
したがって、私が思い描くあるべき社会運営とは、
「自己責任を原則としつつ、思いやりを持って社会を運営する」
であり、人事上の意思決定でもそうあるべきだと思います。
給与制度とは、はっきり言ってしまえば単なるルールであり、
それ自体が企業や社員さまの人生をより良くすることはありません。
高い視座を持って運用するからこそ、意義があるのだと思います。