当社は成果主義を導入してから、社風が殺伐としてしまったように感じます。やはり、成果主義は日本には合わないのでしょうか?
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一昔前は、猫も杓子も「成果主義」でしたが、最近は成果主義を諸悪の根源のように扱う風潮があります。
確かに、成果主義人事制度を導入した企業で、大成功を収めたというケースはあまり聞きません。
そういう意味では、「成果主義は日本には合わない」という主張は納得性があります。
しかし、仕事の原則というのは、根本的には「成果主義」です。
成果が上がらない仕事をしているということは、仕事の仕方のどこかに問題があるということです。
「一生懸命にがんばりましたが、成果が上がりませんでした」というのは、仕事とは言いません。
それは趣味です。
仕事は「成果」を基準に評価を行い、常により良い方法を考えていかなければなりません。
これは、日本であろうが、欧米であろうが全く同じです。
日本に成果主義は合わないと決めつけてしまうのは、少し短絡的な主張です。
では、従来の「成果主義」は、何故うまくいかなかったのでしょうか?
それは、「目的」を間違えたからです。
成果主義で失敗した会社は、おおむね次のような目的で成果主義を導入してしまったのです。
1.成果を上げている社員さんとそうでない社員さんの給料に「格差」をつけるため
2.成果の上がらない社員さんの給料をカットして、人件費を削減するため
3.社員さんを給料というエサで釣り、今まで以上に働かせるため
つまり、お金の力で社員さんをやる気にさせようとしたのです。
これは一種の強迫です。
「成果を上げなければ給料を減らす」という脅しによって、社員さんを働かせようとしたのです。
このような目的で導入された成果主義によって、成果を上げられない社員さんは物心両面で追い詰められました。
なおかつ、成果を上げている社員さんも、一時的には喜んだかもしれませんが、
成果を上げなければ給料が減るというプレッシャーによって疲弊してしまったのです。
そして、社員さんの心は、会社から離れていきました。
当然のことです。会社が自分を大切にしてくれないのに、愛社精神を感じることはできません。
ご質問の情報だけでは断定はできませんが、
貴社の成果主義の導入目的も上記の3つに当てはまるようなものだったのではないでしょうか。
生きがいラボが構築するノーレイティング型人事制度は、「成果」を重視しますが、
「目に見えない」成果も大切にします。
成果主義人事制度の最大の失敗は、目に見える成果、つまり数値で表せる成果ばかりを見てしまったことです。
加えて、生きがいラボのノーレイティング型人事制度では、「評価」と「給与」を直接的には連動させません。
なぜなら、社員さんの仕事を完全に客観的な数値に置き換えることは不可能で、
どこまでいっても不十分な人事評価をもとに、自動的に給与が計算される仕組みをつくったとしても、合理性がないからです。
生きがいラボのノーレイティング型人事制度は、給与を決めるための仕組みではなく、
社員さんに「自律」「成長」「貢献」の実感を味わってもらい、『生きがい』を感じて仕事をしてもらうための仕組みとなります。