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組織運営における「自律」とともに大切な価値観とは?

  • カテゴリ:ノーレイティング(No Rating)

ノーレイティング型人事制度の根本には、「人は誰しも自律を望んでいる」という価値観があります。

 

当社のノーレイティング型人事制度が「給与」や「働き方」を一人ひとりに申告してもらうのは、一人ひとりが持つ「自律性」が開放される環境をつくるためです。

 

しかし、自律という価値観「だけ」で組織(社会)を運営すると弊害も生まれると考えています。

 

今回は、その弊害とその解決策について考えたいと思います。

 

 

行き過ぎた自己責任論

 

「自律」という価値観で運営されている組織(社会)では、自分のことについては自分で決めていくことになります。

 

自分で決めるということは、どんな結果になったとしても、その責任は自分にあるということです。

 

すべてが「自己責任」ということになります。

 

私は、社会の原則は「自己責任」だと考えていますが、すべてを自己責任で片づけるのは行き過ぎだと思っています。

 

行き過ぎた自己責任論は、失敗した人や社会的弱者(好きな言葉ではありませんが)といわれる人を過度に批判する発想にもつながります。

 

たとえば、新しい価値創造のために斬新なビジネスに取り組んだ人がいたとしましょう。

 

懸命な努力の甲斐もなく事業に失敗してしまったとき、自己責任論をそのまま当てはめると、失敗したのはすべて本人の責任ということになります。

 

新しいことに果敢にチャレンジした勇気は、無視されてしまいます。

 

事業に失敗するのは事業家に原因があるという考えは当然だと思いますが、果敢にチャレンジした勇気は賞賛されるべきだと思います。

 

しかし時として、失敗したのだから過酷な状況に陥ったとしても仕方がないということにもなりがちです。

 

十分な貯蓄をしてこなかった高齢者や、就職先の見つからない若年層、収入がない生活保護受給者の方々や、今回のようなコロナショックによって厳しい状況に陥った人たちなども、自己責任論を当てはめると、そういう状況に置かれているのも本人の責任となります。

 

しかし社会のなかでは、自分の努力ではどうしようもないことも起こります。

 

ですので、自己責任の原則を根幹に置きながらも、「思いやり」の精神を持って組織(社会)を運営することが必要だと思うのです。

 

 

思いやりが仇となることもある

 

しかし、「思いやり」によって組織(社会)がより良い方向に進むには、あくまでも「自律(自己責任)」が前提になると思っています。

 

もしも、思いやりを受ける当事者が、「失敗しても助けられるのが当たり前」「高齢者を大切にするのは当たり前」「就職先を探してくれるのが当たり前」「生活保護をもらって当たり前」という意識であれば、組織(社会)はよい状態を保っていけないと思います。

 

一人ひとりが自律した価値観を持っていなければ、お互いに感謝しあう組織(社会)をつくることはできないと考えています。

 

 

自律のための環境とトレーニングが必要

 

ノーレイティング型人事制度の人間観は、「すべての人は自律を望んでいる」という価値観ですが、「自分で決める」ということにはプレッシャーが伴うことも事実です。

 

正解のない問題に対して、自分で考えて意思決定をするには、トレーニングが必要です。

 

そのためのトレーニングの場として、「給与額を申告する」という自己申告型給与制度を設計しています。

 

そして、そのトレーニングの場である自己申告型給与制度の運用に際しては、自己責任(自律)の原則を根本に置きながらも、思いやりを持つことが大切なのだと考えています。

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